「無理を通せば道理が引っ込む」はよくある話
まず初めに自分の話をさせてもらいます。小学生の頃に3ヶ月だけでしたがイジメに遭いました。耐える以外の選択肢もなければ、金銭的問題に発展するまで親も先生も助けてくれませんでした。先生に関しては相談してもこっちを嘘つき呼ばわりする始末。小学高学年と中学の担任の先生は体罰教師でした。社会人2年目には当時の会社の課長からパワハラを受けました。
現実の世界に絶望などしてませんが、30,40超えたいい大人の中に上述したような人がいることを耐えがたいほど経験しました。世の中には無理なこと、理不尽なことはいくらでもあります。それを理解したうえで、自分はそういう人間にならないように心掛けつつ、どうやって幸福感を高めて生きていくかを考えていくべきだと思います。そうしないと、いつまでも搾取される側でいるか、不幸を振りまく側にリスクがある気がしています。
「無理」と「無茶」の違い
私は競馬に全然興味ありませんが、親が賭けないくせに競馬好きでテレビ中継をよく一緒に見ていました。レースシーン、ゴール直前で馬に鞭を入れる光景がよく見られると思いますが、「無理」はこれによく似ていると思います。
スタートから必死に走ってきた馬に対して、ラストスパートをかけろと人間の都合で更に走らせる(表現が乱暴すぎますかね、、)。目指す成果にもう少しで手が届きそうなときには、更に力を入れ状況を追い込ませるのが「無理」だと思います。そして、無理は道理より優先される場合がままあります。
たとえば、期限のある仕事のとき。たとえ疲労が明らかにたまっていても残業して期限を守ったほうが、顧客との信頼関係が生まれて、こちらの意見に賛同しやすくなるなど後々楽に仕事ができるようになることが期待できます。
「無茶」の語源はちゃんと調べてませんが、単純に「茶がない = 飲み物を飲むことすらできない」だと思います。これはひどいです、命を直接削ってるようなものです。人を命あるものであることを忘れ、労働力や道具としか見てない人の思考です。
また、自責グセも同様です。自分を大切にしてあげないのだから、自分の思考や精神が報いてくれないのも当然です。「自己投資」という言葉もあります。投資のように後々のことを考えて、「自分が悪いんだ」と簡単に済ませてしまうのはナンセンスです。
私をパワハラした当時の課長は職場で普通に「死ねやー」と口にする方でした。他人の感情や精神状態などどうでもいいのです、そしてそういう人でも(そういう人こそ?)偉くなれます。このような人と仲良くしたり機嫌を取ったりしても、いつまでも振り回されて利用されるだけです。
自分や自分が大切にしたい人のためだけに無理をして、無茶なことはしないし断れるようになれると、少し精神的に楽に生きれるようなれます。
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